こんにちは。スギムーです。(@sugimu331)
「信用」と「信頼」はそれぞれ違う意味ですが、その意味の違いを知らないことによって、なんでも信じてしまい、騙されたり、あるいは自分の選択にも関わらず、人のせいにしたり、と信頼関係を築くことが難しくなってしまいます。
「人を疑うということは悪いことだ」と考えていれば、相手から信頼を得ることも、良い結果を手にすることもできません。その意味がわかるでしょうか?
人は「信用したからといって信頼するかどうかは別問題」ですし、「信頼しても信用してはいけない」のです。
本当の信頼関係を望むならば、信用と信頼の違いを知りましょう。
今回は、ビジネスコンサルタントとして20年の経験のある立場から、信用と信頼の違いを具体的なエピソードの例を交えてお話しして行きます。それでは初めて行きましょう!
Contents
■「信用」と「信頼」の違いとは
「信用」の意味とは?
まず、「信用」の意味ですが、信用とは『過去の実績に基づいて、証拠によって信じるさま』のことです。英語では、「credence」「credit」といった日本語の「信用」のニュアンスの言葉があります。いずれも、証拠があることによって取引を行う、というようなニュアンスが含まれます。
つまり信用とは過去のことであり、条件付きに行うものです。
信用取引には担保があるように、何かを差し出す代わりに何かを差し出してもらうという、交換条件によっての信用となります。ビジネスライクなもの、契約ありきのものが信用と言えます。
「信頼」の意味とは?
対して「信頼」とは、「これからの未来への期待」のことです。証拠など無しに信じて今後、頼りにするということ。英語では「trust」「rely」などが近いニュアンスになります。
つまり、信頼とは未来のことであり、無条件で行うものです。
無条件というのは逆にいえば、「自己責任」。信頼とは自分の判断であるということ。
■信頼しても信用するな
このような違いから、多く一般的に使われてる「あなたを信じる」「君を信用する」と言ったニュアンスの言葉は「あなたを信用するから、私を裏切らないでね?」というニュアンスで使われている感じです。
しかし、「信頼しても信用するな」という言葉があるように、信頼と信用を一緒にしていると、相手にとっても自分にとっても最悪なことになるのです。
信用してはいけないのです。なぜなら、信頼は期待を含みますが、保証は含まれないからです。
にも関わらず、「相手を信頼しています」と相手に責任を丸投げして、問題が起きたら「信用してたのに、ひどい!」と責任転嫁をするということが起きるわけです。
「信頼しても信用するな」とは、相手に対して期待をしても、自分が望む結果が自動的に保証されると信じてはいけないということ。
どれだけ期待できる相手であったとしても、自分にとって都合のいい結果になるとは限らないわけです。信頼するということは、自分自身も良い未来が来るように準備をし、努力をしなければいけないのです。
信頼とはお互いの努力によって成立するものです。
「信頼=信用」になっている人間は自己中心的で、自分は何もせずに責任だけを人に丸投げし、思った通りにならなかった途端に「裏切られた」と言い出します。
実は「信頼している」などといった綺麗な言葉の裏には、最悪の自己中が隠れています。
信頼と期待を混同したビジネスの事例
例えば、私の20年以上のビジネス経験の中ではこんなエピソードがありました。ある会社の社長は、商品の開発をしてくれる企業を探していました。そして、非常に良い条件で開発を手伝ってくれる会社が見つかりました。「あの社長さんはすごく良い人で、彼に任せていれば、これでもう安心だと思います!」とその社長は言っていました。
私が「契約書はどのようになっていますか?」など、詳細を尋ねると「大丈夫ですよ」と言っていました。しかし、いざ蓋を開けてみると、開発を依頼した商品のアイデアは盗用され、依頼した企業の商品として発売していたのです。そして「裏切られた!」と。
このケースでは、依頼をする、任せるということで「信頼」をした、未来を頼ったわけですが、同時に「信用」もしてしまったわけです。「きっとうまくやってくれるはず」と、根拠もなく信用をしてしまった。ここで信用をせずに、しっかりと契約を取り決めたり、開発に介入していればこうしたトラブルにはならなかったかもしれません。
信用(期待)しないのは当たり前
信頼をするというのは、丸投げをすることではないのです。そしてビジネスにおいて「信用しない」というのは、相手と敵対したり、悪意を持つということではなく、相手任せにせずに協力をしていく姿勢のことなのです。
なので私自身は、誰であっても思考停止で信用したりはしていません。良い結果が出るように相手に丸投げせずに、自分でできる最善の努力をしますし、人に何かを依頼しても本当にそれが依頼通りになるかを追いかけて確認して行きます。
思考停止で信用した瞬間に、相手任せになり、他人事になり、期待に対して自分は努力をせず、相手だけに責任を負わせる、といった、お互いにとって最悪の結果になるからです。
「人を信用しない」というと、誤解が生まれますが、信用しないのは相手の幸せのためであり、良い結果のためであり、当然のことなのです。
信頼というのはお互いの努力なくしてできることではないのですし、努力をせざるを得ない関係性でなければいけないのです。
■信用しても信頼するな
さらにいえば、「信用しても信頼するな」です。混乱しそうですが、信用できる相手(過去の実績から)であろうと、信頼するかどうか(未来を頼りにするかどうか)は自分で判断するということです。
信用に値する証拠が揃った瞬間に、思考停止で「この人は信頼してもいい人だ」というのはおかしな話です。
例えば、
・SNSのフォロワーが多い人は信用できる
・成功者と友達だと信用できる
・テレビ、雑誌に出演したことがあると信用できる
・年商が多いと信用できる
・出版してると信用できる
・お客様の声が良いから信用できる
・行列が並んでいる店だから信用できる
・ニュースで取り上げられたビジネスだから信用できる
・NPOの協会だから信用できる
・大企業の商品だから信用できる
と、盲目的に信用=信頼となり、採用してしまう人がとても多いわけです。
信頼は無条件で行う、自分で判断できるものです。
信用できるからといって、必ずしも信頼(採用)するかといえば別の話なのです。
情報や人を採用したのは自分です。自分の活用方法次第で決まります。だから自己責任。思考停止で採用して、それらに「期待」だけを寄せるようでは物事をなすことはできません。
信用できるような相手でも、信頼するかどうかは自分で決めることなのです。
盲信をしたビジネスの事例
私の経験上、起業家の多くは「盲信」によって悪い方向に突っ走ることが多いです。
例えば、「この商材は売れる」と説得されて代理店になって売れずに自滅するケースがありました。ある企業で、新商品を投入したいjという相談を受けましたが、私は「その商材は御社のターゲットとは関係がないからやめましょう」と言いましたが、「この商品を扱っている会社はあの大企業だから、必ず成功しますよ。こんなに儲かる試算もあるんです」と言って話を聞きませんでした。そしてうちとは袂を別つことになりましたが、結局は、その商品はうまく行かず、在庫を抱えて事業縮小の道になったそうです。
また、一番多いのは「この有名コンサルタントのセミナーで一発逆転できる」と信じて数百万円もセミナー代に支払って、お金と時間を失うケースです。「もっと良いやり方があるはず」と盲信して、魔法の方法を探し始めると、この沼にハマります。はっきり言って、ビジネスに魔法の方法はありません。あるのは原理原則だけ。
こうしたケースの背景には、「有名な人が言っていたから」「成功している会社が言ってたから」など、ただ実績だけを見て信用をして、信用できそうだからという理由で、同時に「信頼」すること、つまり頼ることも決めてしまったわけです。
信頼するということは自分にも努力と覚悟が必要です。その選択を正解にするために。なのに、「信じられそうだからきっとうまくいくはず」という盲信によって悪くなってしまうのです。
■相手に信頼してもらうためには?信じ合ってはいけない
では、人に「信頼」してもらうにはどうしたらいいでしょうか?
無条件で頼ってもらい、お互いにとって有益な関係であり続けるためにはどうしたらいいのでしょうか?
それにはまず、「信じあってはいけない」と言うことです。期待してはいけない。
信用すれば交換条件ですから、
「やってもらって当たり前」
「結果が出て当たり前」
「相手の責任」
「他人事」
です。
信頼関係では、相手を信用し、期待することは大変、無責任なことです。
お互いに目的のために努力し合う関係でなければいけませんし、お互いがそれを理解していなければ信頼関係にはなりません。
次に、「未来を共有すること」が必要です。
信頼をすると言うのは、「未来を頼られる」と言うことですから、この人(人物・情報・物事)と一緒(活用して)に未来を共有できるかどうか?と言うのが信頼の基準になるはずです。
そして、それは、「そうなって当たり前」と言う相手任せの態度ではなく、自己責任で無条件で自分で選択した事ですから、その期待通りの結果を得るために自分が努力をするものです。
であれば、お互いに、同じ未来を見ているかどうかが最大のポイントになると言う事です。
あなたが期待している未来はどんなものか?どんな未来に対して自分は努力をしているのか?それが相手と共有している状態になっているかどうか?
その未来を見せること、共有することを相手とすることで、相手からの信頼が得られるようになります。そしてお互いにその未来に向けて努力する状態が信頼関係というものです。
■アドラー心理学の「他者信頼」とは?
世界三大心理学者のアルフレッド・アドラー博士は、人間の幸福は「自己受容」「他者信頼」「他者貢献」の3つの要素によって成り立つ「共同体感覚」によって生まれると言っています。
「自分を受け入れ、他者を無条件に信頼し、他者に対して貢献している自分」と言う主体的な感覚が幸福の正体であると言うことです。
中でも「他者信頼」ですが、無条件に人を信じると言うのは、当然、「自分に何かをしてくれることを信じる」と言うことではありません。
他者を信頼するということは、「敵ではない」と言うことです。
敵ではないと言うことが分かれば、競争をして競い合う必要がなくなります。
競い合わないと言うことは、他人に認めて欲しい、負けたくないと言った、他人からの評価の恐れがなくなります。
そうなれば、叱られたり、褒められたりと言う動機付けがなくても、他人は関係なく、主体的に考え、行動できる自立した人間になります。
他人は自分のためにいるわけでもなく、自分も他人のためにいるわけでもないのです。
他人に期待することも、期待に応える必要もないのです。
そうなれば、世界は敵ではないのですから、人に協力できるようになります。
「競争」から「協力」に変わります。
他者を信頼するとはそう言うことです。
無条件に他者を信頼することとは、協力関係の土台なのです。
■信用・信頼の名言
俳優・芦田愛菜さんの「信じる」に対する解釈
「裏切られたとか期待していたとか言うけど、その人が裏切ったわけではなく、その人の見えなかった部分が見えただけ。 見えなかった部分が見えたときに、それもその人なんだと受け止められることができる、揺るがない自分がいることが信じることと思いました」
その通りですね。相手を信じるというのは、結局は自分の都合のいい結果を相手に期待している押し付けているだけです。自分が思っていたように相手が行動や発言をしなかったとしても、相手を受け止めること。
色々な一面が出て来たとしても、勝手に失望したりしない。それこそが、「人を信じる」ということ。「騙される」というのは相手に押し付けて、丸投げしている状態だから起きることなのです。
孔子の「信頼」に対する解釈
十人が十人とも悪く言う奴、
これは善人であろうはずがない。
だからといって
十人が十人ともよくいう奴、
これも善人とは違う。
真の善人とは、
十人のうち五人がけなし、
五人がほめる人物である。
/孔子
全員から好かれようとすれば、それはいいひとを演じなければいけない。
それはつまり「都合のいい人」と言うこと。
期待に応えようと、褒められようとする行為は、結果的にお互いのためにならない。
だから孔子はこんな風に全員から善人と言われる人物は善人とは限らない。
と言っているわけです。
信頼に対して努力できる人物が善人であると言うこと。
信頼に対して努力をしても、半分の相手は努力をせずに良い結果にならないから、対峙した人物の賛否が別れる人物こそが善人だよ、と言うことですね。
■信用と信頼のまとめ
「自分を信じる」「あなたを信じる」
などと言う言葉がよくあります。
とても美しく見えます。
しかし、最悪です。
これには期待が含まれています。
だからその通りにならなかった時に自分を責める。
他人を責めるわけです。
そんな期待の中でいると言うことは世界の中心に自分がいて、他人に何かしてもらうこと、他人の期待に応えることが当たり前になってしまいます。自己中心という事。常に裏切りと期待の中で生きることになります。
それでは、ずっと幸せではないでしょう。
期待や見返りといった条件付きではなく、無条件に互いの未来のために努力し合える関係こそ信頼関係です。
関係が悪くならないために、互いにビジョンを共有し、自らも努力する。その状態です。
状態は常態ではありません。あたり前じゃないという事。
仕事でも、恋愛関係でも、顧客との関係でも、そうした信頼関係を作っていきましょう。
自分や他人を信用しないでください。
そんな重たい期待をかけないでください。
互いに、今を努力して行ければいいのですよ。

































