
日本思想×ビジネスの翻訳家
ビジネスコンサルタント歴20年
1979年3月31日生
株式会社ウェブロック代表・SoulWork主宰
2004年に独立し、200件以上のプロジェクトに関わる。ビジネスの相談件数は数千件に上る。IT・音楽業界・店舗・中小企業・個人から上場企業まで経験。大手レコード会社各社の新人開発プロジェクトに参画、SNS最初期にSNS開発に参画、アフィリエイト関連書籍の出版、ECサイト運営、1万人規模のイベント参画、など多くの業種のコンサルティングやプロデュースを経験。運営するブログは年間100万PV達成。僧侶に師事。趣味はギターと茶道。栃木県在住、2人の成人した子供の父親でもある。現在は起業家育成を中心に活動しています。
MBTI
・INFJ型(提唱者)
ストレングスファインダー
■story
17歳の時、当時44歳だった母を亡くしました。
突然、寝込んだ母に昼食を作ったのだけど、夕方に見たときは、その炒飯のようなものは手付かず。父が病院に行くと言うのだが、母は立ち上がることができず、背中に母をおぶって車に乗せた。母はとても太っていて重かったのだけど。
病院では過労だと言われて、入院をした。
でも翌日には昏睡状態になり、脳死だと言われた。
それから1週間か2週間か、大きな病院に移って、全く動かなくなった母を、毎日、お見舞いに行くようになった。
兄の友人が向日葵を持ってお見舞いに来たことをよく覚えている。その向日葵だけは、「かわいそう」とか「こんな風になってしまって・・」とか、そう言う言葉じゃなく、ただただ純粋に「元気になって」と言っているように思えた。
医者も、お見舞いに来る人も、親戚も、全てを恨んでいた。子供だった自分に、あの向日葵だけは違って見えた気がした。
後悔をした。
母の体調が急変した前の日、母と喧嘩をしたままだったから。
クソガキだった17歳の自分は、自分のことしか考えられず、よく口汚い言葉で母を傷つけていた。どうしようもなく子供だった。その日常が、次の日、突然奪われた。
何度謝ろうと、もう母の耳には届かない。
母は倒れてから意識がなくなり、2週間足らずで亡くなった。
6月の初夏の風が印象的だった頃だ。
その時に刻まれたこと
「大切にしたい人は大切にできる時に大切にしよう」
と言うこと。
それから18歳になる前に一人暮らしを始め、色々あってビジネスに出会い、23歳の頃にフリーランスとして今のような仕事を始めて、24歳で結婚をし、子供を2人、授かった。
自分は若い頃に母を失ったことで得たことがたくさんあった。
1番になることも、有名になることも、誰かに勝つことも、大きな成功をすることも、多くのお金を得ることも、大発見をすることも、夢を叶えることも、何も興味がない。
ただ、今を大切にしたい。そう考えるようになった。
人間ていうのは、親や教育やメディアや友人なんかに、影響を受けて自分の考えを持つ。
だから大抵は、「こうなりたい」「これが欲しい」と、欲求をもち、その欲求を満たすために、一生を費やしていく。その山登りの最中は、ずっと辛いままに。
でも、そんなのは自由じゃない。
多くを得て、環境やお金や時間が自由になっても、結局は、誰かの受け売りのまま、人生を支配されているだけ。
だから、思考からフラットでいたい。
そして今を生きていきたい。
大切なものを大切にしていくために、私はビジネスの世界に飛び込みました。
きっと多くの方が、似たような思いがあると思います。人によっては、家族ができてそれに気が付いたり、何かを失って気が付いたのかもしれない。
その進んでいる方角は間違いではないと思います。自分が大切だと思えるものを、大切にするために、私たちは生きているのですから。ビジネスは、その可能性を示してくれる魂の道なのだと思います。

母のお墓のある田舎の風景
■I love music
おまけに音楽を載せておきます。演奏は自分でやってます。